ゆるぶら日々録

ゆるぶら日々録

*ゆるぶらした日々をおとどけ中*

竹田城のシンボルツリーが枯れた。

ここ4、5年で激増の竹田城

私が初めて行ったのは確か2011年だったと思う。その頃は人気爆発寸前で、山腹の駐車場があふれだしていた。深夜だというのに、早朝の雲海を見にきた人たちの車がそれほど広くない山道に列をなして停めてあった。役所の人がそんな時間から必死で対応しに来ていたのを覚えている。

その時は運良く一度目で雲海に出会えた。家を出る時から、朝来市に濃霧注意報が発表されていて、道中の高速道路ですでに視界不良だった。もうこの時点で雲海確定。日の出前のまだ薄暗い中、駐車場から20分ほど坂道を登ると城跡に到着。白み始めた空に目が利くようになり、ぱらぱらと人影が見える。 

二の丸をうろついて本丸の途中で写真でみたあの景色を見つけた。

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これがそのときのもの。夜明け前はまだそれほどたくさんはいない。雲海がからふわふわ漂い、石垣と数本の木だけの城がとても幽玄だった。

 

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日が昇る頃には城の縁にずらりとたくさんの人が雲海と日の出を楽しんでいた。明けてみると、なんとテントを張っている人たちもいてびっくり。今やそんなことはできない。これでもまだ後の人出に比べるとまだまだ少ないほう。

 

SNSでの拡散とCM効果

この数年前くらいかな。インスタグラムやツイッターフェイスブックでの各地の絶景の写真が出回るようになっていた。その時はインスタグラムが流行だした初期の頃で、「インスタ映え」という言葉はなかったような気がする。SNSにUPされた雲海の絶景写真と「ラピュタの世界」というキャプションを見て、行ってみたい!で老若男女が押し寄せた。その連鎖反応は強力で、たちまちに広がり大人気に。すると、そこに目を付けたのか、グーグルマップのCMに起用され、そこからはうなぎ登りで、一気だったと思う。

規制も入場料もなく、早朝からの観光客はどんどん増え続け、耐えきれない石垣が崩れ掛かるところもあった。土嚢がつまれ、シートが被せられたり見るも無惨。そして、ある日事故が起きた。石垣からの転落事故。幸い死人はいなかったが、けが人はでた。それから一旦閉山し、整備することになった。遊歩道がつくられ、入城料を徴収し、冬期は閉山になった。

 

竹田城の魅力はどこへ?

この時点でもう以前の幽玄な竹田城の姿はもうない。整備されて遊歩道や柵があり、あの独特の廃墟感はない。変わったのは加わったものだけではない。失われたものもある。根を踏み固められた木々が枯れ、更地のようになりつつある。

そしてついにあの松が枯れたと。南千畳の最先端にあるあの松の木が。写真を撮る上でキーポイントになる木だった。遠くからもよく見えて目立つ木で、あるのとないのでは見え方が全然違う。樹齢は100年以上の大木だったのに。この冬の閉山期間に伐採されるとのこと。未来の景観のために幼木が保護されているが、木が大きく育つのにどれだけ時間がかかることか。この松以外にも同じ目にあっている木々がいたのに、なぜもっと早く対策しなかったのか。行政はいったい何をしているんだろうかと思う。何でもそうだけど、失うのは一瞬。それを元に戻すには倍以上の時間がかかる。自然相手ならなおさらで。

観光地化と引き換えに竹田城はその魅力は半減した。魅力は単にその石垣と雲海だけにあるのではない。数百年も昔に打ち捨てられた城が長い年月をかけて緑にかえり、自然と調和し始めたその姿に意味がある。「ラピュタの世界」と称されたのもそれ故。
国史跡でいじれないとはいえ、これだけ人気がでたのなら、逆になんとかできなかったのかと思う。あの松の木のある竹田城が見れるのはこの秋いっぱいまで。本当に残念。

 

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